親が八十代、子が五十代。もう誰にも言えない場所まで来ている。近所にも親戚にも知られたくなくて何年も黙ってきた。そのあいだに親の足腰が弱り、冷蔵庫の中身が古くなり、封を切らない請求書が積み上がっていく。
八十代と五十代という時点で残り時間は確かに少ない。ただし手遅れかどうかを決めているのは年齢ではない。親の名義と親の意思でできる手続きが、まだ残っているかどうかだ。親が生きて話せるあいだにしか通らない窓口がいくつもあって、そこを通り過ぎた後に残る重さこそが、手遅れと呼ばれているものの正体になる。
以下、相談として寄せられた家の話をもとに、崩れていく順番と、今から押さえられる手当てを書く。
手遅れという言葉が出てくる家で、実際に起きていること
崩れは冷蔵庫と請求書に先に出る
父を亡くして五年になる家があった。母は八十を過ぎ、足腰が弱って買い物にも出られない。兄は五十代半ばで、二十代前半に会社を辞めて以来ほとんど部屋から出てこない。三人分の生活は、母の年金だけで回してきた。
別居していた下の子が実家に通い始めて、最初に気づいたのは兄の様子ではなかった。冷蔵庫に期限切れの食品が並んでいたこと、水道の請求書が封も切られずに積まれ、電気が止まる寸前だったこと。人より先に、生活の側に異変が出る。
この順番は覚えておく価値がある。家族の異変は見慣れてしまうが、公共料金の督促や食材の傷み方には見慣れようがない。実家に行ったとき、部屋の扉より先に冷蔵庫と郵便受けを見る。それだけで現在地がわかる。
親が口にするもう遅いは、諦めよりも恐怖に近い
同じ家で、下の子が役所に行こうと勧めても母は首を横に振り続けた。もう手遅れだ、この年になって何をやっても無駄だ、と繰り返す。ところが同じ口で、この子が残されたらどうなるのかと怯えてもいた。
矛盾しているようで、していない。怖くて直視できないから、手遅れという一語で蓋をしている。恥ずかしさもある。子育てに失敗したと世間に言われる場面を、親は何十通りも想像し尽くしている。だから外から見ると諦めに見えるものが、内側では恐怖の別名になっている。
ここを取り違えると家族は消耗する。親を説得しようとすればするほど、蓋が固くなるからだ。責めているつもりがなくても、親には自分の失敗を確認させる作業に聞こえてしまう。
なお、この状態は特殊な家庭の話ではない。内閣府の推計では、ひきこもり状態にある人は全国で百四十六万人規模とされている。同じ夜に同じ語を検索している家が、無数にある。
手遅れは一度に来ない。三つの段階に分かれて来る
手遅れは一日で完成しない。私は現場で見てきた崩れ方を、三つの手遅れと呼んで整理している。
- 生活の手遅れ。お金と家事が回らなくなり、光熱費や食事が止まりかける段階
- 手続きの手遅れ。親が倒れたとき、家の中に書類を書ける人が誰もいない段階
- 看取りの手遅れ。親の死後、届出も葬儀も年金の手続きも止まり、社会との接点が完全に切れる段階
自分の家がどの段階にいるかで、打つ手はまったく変わる。
第一の手遅れ、生活が回らなくなる
年金は親の生存が前提の収入だ。それ一本で二人分、三人分を支えている家は、親の入院一回で赤字に転げ落ちる。介護保険の自己負担、おむつ代、病院までの交通費。数万円の追加支出が、そのまま食費を削る。
この段階なら、まだ生活の再設計で持ち直せる。家計の把握、介護保険の利用、生活困窮者自立支援制度の相談窓口。ここで手を打った家は、後の二つの手遅れを回避できることが多い。
第二の手遅れ、緊急時に誰も手続きができない
先の家では、母が急変して病院に運ばれた。そのとき兄は通報すらできなかった。異変に気づいた近所の人が救急車を呼んでくれて、ぎりぎりだった。
思い返せば予兆はあった。父が倒れたときも救急車を呼んだのは母で、入院手続きも保証人の手配も、すべて母が一人でこなした。兄は部屋で震えていたという。二十年以上、手続きという行為から遠ざかっていた人が、いきなり同意書を書けるはずがない。
親が倒れた瞬間から始まるのは、救急の手配、病院での同意書、入院時の保証金、身元保証人の記入という書類の嵐だ。ここを一人で越えられる当事者はほとんどいない。制度の側にも救いはあって、身元保証人がいないことだけを理由に入院を断ってはならないという国の通知は出ている。とはいえ現場でその通知を持ち出せる家族がいなければ、話は前に進まない。
第三の手遅れ、親を送れなくなる
もっとも重い結末を見た家の話をする。九十を超えた父親を、六十代の息子が自宅で看取った。老衰だった。ところが葬儀代がなく、死亡届を出せなかった。年金が止まり、光熱費が払えなくなり、ガスも電気も止まった。残った現金で細々とつなぎながら、部屋の中で数か月が過ぎた。介護用ベッドのレンタル業者が料金の督促に訪ねてきて異臭に気づき、警察が入り、死体遺棄の疑いで逮捕された。本人は、お金がなかっただけだと繰り返したという。
ここに現場の気づきがある。葬儀費用を出せない世帯には、自治体の福祉事務所に葬祭扶助という制度がある。火葬までの最低限の費用が公費で賄われる仕組みで、頼れる親族がいない人ほど対象になりやすい。ただし葬儀を行う前に相談することが条件になる。彼はその制度を最後まで知らなかった。知識が一つ欠けていただけで、数か月と、その後の人生が失われた。
手遅れという言葉が本当の意味を持つのは、この地点だ。逆に言えば、ここまで来ていない家には、まだ手が残っている。
手遅れの境目は年齢ではなく、親の名義が使えるかどうか
親が生きているあいだにしか通らない五つの準備
親が元気なうちしか整えられない仕組みになっている、というのがこの問題の構造だ。優先順位が高い順に並べる。
- 受診歴をつくる。障害年金は最初に医師にかかった日が権利の起点になり、手帳や福祉サービスの申請も診断が入口になる。受診が遅れるほど選択肢が減る
- 障害福祉サービスの受給者証を検討し、グループホームを見学しておく。申請から利用まで数か月かかることが珍しくない
- 生活保護の事前相談をしておく。親と同居していると世帯の収入で判断されるため今は対象外でも、親亡き後に単身世帯として申請する道筋を、窓口と共有しておく
- お金の管理と身元保証を決める。成年後見制度、社会福祉協議会の日常生活自立支援事業、民間の保証サービス。判断能力があるうちにしか選べない選択肢がある
- 住まいと名義を整理する。持ち家なら固定資産税と修繕、賃貸なら契約者が親のままでいいのか。遺言があるかどうかで、きょうだいの負担がまるで変わる
五つ全部を今週やる必要はない。ただし一番目だけは先送りが効かない。
住所と保証人がないところで、すべてが止まる
親が亡くなり、住まいを失い、住所がなくなると、申請の入口にすら立てなくなる。保証人がいなければ賃貸の入居も難しい。生活保護の申請は住所がなくてもできるが、その状態にたどり着くまでに本人の気力が尽きる。
だから準備の目的は、親亡き後に本人が一人で役所へ行けるようにすることではない。行かなくても回るように、事前に人と制度をつないでおくことだ。
今日、どこに何と言って電話するか
親の介護を入口にする窓口
まず地域包括支援センターに電話する。高齢者の相談窓口で、全国の市区町村にあり、費用はかからない。
ここが有効なのは、子の話をしなくても入れるからだ。母の足腰が弱ってきた、買い物に行けない。その相談だけで、ケアマネジャーやヘルパーが家に入る状態がつくれる。家の中に外の人が定期的に来るようになると、第二の手遅れがほぼ防げる。倒れたときに気づく人がいるからだ。
子のことで家族が入る窓口
本人が拒んでいても、家族だけで相談できる場所がある。都道府県と政令市に置かれたひきこもり地域支援センター、精神保健福祉センター、生活困窮者自立支援制度の自立相談支援機関、市区町村の福祉の総合相談窓口。同じ立場の家族が集まる家族会もある。
四十代後半で、寝たきりの母を介護しながら自身も外に出られなくなっていた女性がいた。十年以上、誰にも相談していない。週に一度だけ電話で話せる相手がいたが、それも途絶えた。うつを抱えながら食事を運び続けたのは、母が食べなければ死ぬという恐怖が、外に出る不安を上回っていたからだという。母が亡くなった後、彼女は一気に崩れた。役所へ行く気力もなく、支援の網からこぼれかけた。つながったのは、心配した民生委員が動いたからだ。
制度が救ったのではなく、顔を知っている人が一人いたことが救った。家の外側に一人だけでも接点をつくっておく。それが最も費用のかからない保険になる。
電話の最初の三十秒で言うこと
言葉が浮かばずに受話器を置いてしまう人が多いので、型を置いておく。
- 家族のことで相談したい、と最初に言う
- 親の年齢と体の状態を伝える
- 同居している子の年齢と、外に出ていない期間を伝える
- 収入が親の年金だけであることを伝える
- 親が亡くなった後どうなるかを一緒に考えてほしい、と締める
診断名も原因も要らない。窓口が知りたいのは事実だけだ。うまく説明できなかったとしても、相談の記録が残ることに意味がある。
親が拒む、子が拒む。それでも進める方法
説得より先に、外から来る人を一人つくる
親に相談を勧めても、もう遅いと拒まれる。この壁に当たっている家は多い。正面から説得するより、介護や買い物の支援という別の名前で人を家に入れるほうが早い。ヘルパー、配食、民生委員の見守り。人が入れば情報が入り、情報が入れば次の窓口につながる。
本人にも同じことが言える。就労や自立を目標に据えた瞬間、扉は閉まる。まず生活が続くこと、次に誰かと話せること。順番を守る。
きょうだいはどこまで背負うのか
長年会っていない兄が実家にいる。相続を放棄すれば関わりを断てるのではないか、と考える人がいる。相続放棄は財産についての手続きであって、血縁や周囲からの期待を消してはくれない。一方で、きょうだいに一律の生活費負担義務が課されるわけでもない。生活保護の申請時に親族へ援助の可否を尋ねる連絡が届くことはあるが、援助できないと答えたことで本人の受給が止まるものではない。
支えたい気持ちはある、でも自分にも家族がいる。この葛藤に正解はない。ただ、線を引くなら早いほうがいい。自分ができるのは月に一度実家に行くことと、窓口に情報を渡すことまで。そう決めておけば、共倒れの列に自分の家庭まで並ばせずに済む。
すでに倒れた後、亡くなった後でも間に合うこと
親を看取った後でも、期限を押さえれば立て直せる。死亡届は死亡を知った日から七日以内。年金を受け取っていた親なら、受給停止の届出に十日から十四日という期限がある。葬儀費用が出せないときは、葬儀を行う前に自治体の福祉窓口へ相談する。順番を守れば、あの六十代の息子が落ちた穴は避けられる。
生活保護は、親が亡くなった後なら単身世帯として申請できる。持ち家があっても、住み続けながら受給できる場合がある。家賃が払えなくなる前に窓口へ行くことが分かれ目になる。
支える側が倒れる例も見てきた。震災の後、祖母と母の世話をするうちに仕事を失い、年金では足りず貯金を取り崩し、母の余命宣告で精神的に限界を迎えた五十代の男性がいた。閉じこもってゲームに逃げ、やがて事件を起こして服役した。介護する側が無傷でいられる保証はどこにもない。自分の睡眠と収入が削れ始めたら、それは家族の危機ではなく本人の危機として、別に相談する。
手遅れという言葉は、動かなかった年月を数えるためにあるのではない。まだ通れる窓口がいくつ残っているかを数えるための言葉として使えば、今日の電話一本で数字は変わる。
Q. 8050問題で手遅れになるのは、具体的にどの時点ですか
親が亡くなり、死亡届や年金の手続き、葬儀の手配が誰にもできなくなった時点です。年齢そのものではなく、親の名義と意思でできる手続きが残っているかどうかが境目になります。親が入院中でも会話ができるなら、まだ打てる手があります。
Q. 引きこもりの子を残して親が亡くなったら、その後どうなりますか
年金収入が途絶え、住まいと生活費が同時に失われます。本人は単身世帯として生活保護を申請できますが、住所を失う前に動けるかが分かれ目です。親が生きているうちに窓口へ事前相談し、本人の状況を記録に残しておくと、死後の手続きが格段に進みやすくなります。
Q. 本人が相談を拒否している場合でも、家族だけで相談できますか
できます。ひきこもり地域支援センターや精神保健福祉センター、自治体の福祉窓口は、本人が同席しない家族相談を前提にした支援を行っています。本人の同意なしに強制的に連れ出されることはないため、まず家族だけで現状を伝えるところから始められます。
Q. 五十代からでも就労支援や社会復帰は可能ですか
年齢制限のない支援は複数あります。生活困窮者自立支援制度の就労準備支援は年齢で門前払いされません。ただしいきなり就職を目標に置くと本人が閉じるため、日中に人と話す場所を確保することを先に置くほうが続きます。
Q. きょうだいに扶養義務はありますか。相続放棄すれば関わらずに済みますか
相続放棄は財産についての手続きで、関係そのものを断つ制度ではありません。きょうだいに一律の生活費負担が課されるわけでもなく、生活保護の申請時に届く援助の可否を尋ねる連絡に、援助できないと回答することもできます。それによって本人の受給が止まることはありません。
Q. 葬儀代が用意できないときはどうすればいいですか
葬儀を行う前に、自治体の福祉事務所へ葬祭扶助の相談をしてください。火葬までの最低限の費用が公費で賄われる制度です。先に葬儀社と契約してしまうと対象外になることがあるため、順番を間違えないことが要点です。
Q. 地域包括支援センターとひきこもり地域支援センターは、どう使い分けますか
親の介護や体調が心配なら地域包括支援センター、同居している子のことが中心ならひきこもり地域支援センターです。迷ったら地域包括支援センターに先に電話してかまいません。高齢の親を入口にしたほうが家の中に支援が入りやすく、そこから子の窓口へつないでもらえます。

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