地獄に行く人の特徴|謝らない人が最後にどうなるかを見てきた話

あの人はきっと地獄に行く。そう思ってしまったことを、あとで少し恥じている人は多い。人を呪うような気持ちを持つ自分が、相手と同じ場所に落ちていくようで怖い。それでも、あれだけのことをして平然と暮らしている人がいる事実は、どう考えても収まりがつかない。

仏教では、地獄に落ちる行いがかなり具体的に分類されている。ただ、実際に地獄に行くと言われる人を見てきた人たちの話を集めると、教義の分類とは別のところに、はっきりした共通点が浮かぶ。

  • 自分が悪いと分かっていても謝らない
  • 非があるのに被害者の側に回る
  • 利用価値がある間だけ優しくする
  • 約束を破っても平然としている
  • 相手が傷つくという発想そのものがない
  • 何でも他人のせいにして改善しない
  • 自己評価だけが高く、周囲を見下す

この七つが揃った人がどうなっていくのか。証言を集めた先には、死後の話ではない結末があった。

目次

仏教が説く、地獄に落ちる行いとは

五逆罪と十悪という分類

仏教で最も重いとされるのが五逆罪だ。母を殺す、父を殺す、悟りを開いた聖者を殺す、仏の身体を傷つける、教団の和合を破って分裂させる。この五つを犯した者は、間を置かず無間地獄に落ちるとされてきた。

日常の行いを扱うのが十悪で、身体と言葉と心の三つに分かれる。身体では殺生、盗み、邪な性の行い。言葉では嘘、悪口、二枚舌、飾り立てた言葉。心では貪り、怒り、道理を認めない誤った見方。

注目したいのは、言葉に関する罪が四つも並んでいることだ。人を直接手にかける行為だけが罪として数えられているのではない。嘘をつく、陰で悪く言う、両方にいい顔をして関係を壊す。この三つは、現代の職場や家庭で起きている摩擦とそのまま重なる。

八大地獄と、罪の重さで行き先が変わる考え方

仏教の世界観では、地獄は一つではない。等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、無間の八つが階層をなし、下に行くほど罪が重く、苦しみの期間が長くなる。殺生だけなら最上層、そこに盗みが重なれば一段下、というように、罪が積み重なるほど深い層へ落ちる構造になっている。

最下層の無間地獄は、苦しみが途切れることなく続くとされる場所だ。ここに落ちるのが五逆罪を犯した者で、間断がないという意味で無間と呼ばれる。

この階層構造が示しているのは、罰の大きさが行為の数と重さで決まるという発想だ。一度の過ちと、生涯にわたって人を害し続けた者は、同じには扱われない。

他の宗教ではどう説かれているか

キリスト教では、最後の審判を経て神から永遠に切り離される状態を地獄と説く。責め苦の描写よりも、神との関係が断たれることそのものが本質とされる。イスラム教でも来世での審判があり、生前の行いが記録され、秤にかけられると教えられている。

宗教が違っても、共通しているのは行いが記録されるという発想だ。誰も見ていないと思っている場面が、実は数えられている。この感覚が、道徳の土台として長く機能してきた。

現実に地獄に行くと言われた人たちの共通点

絶対に謝らない

40代の会社員の男性が挙げたのは、以前の上司だった。部下にミスを押し付け、自分に非があると分かっていても絶対に謝らない。とにかくこの男は謝罪しないから地獄に行く、と退職後も友人に漏らしていたという。

都合が悪くなると逃げる。後先を考えずに動く。自己評価だけが高く、周囲を見下す。因果応報など持ち出さなくても、こういう人が幸せになれないのは当然だと、彼は今でも思っている。

謝罪は損得の話ではない。自分の行いが人に何をしたかを見る作業だ。それを一度もしない人は、自分の姿を確認する機会を生涯持たないまま年を取っていく。

自分が悪くても被害者の側に立つ

30代の女性は、元交際相手についてこう語った。最初は優しい人だと思っていた。徐々に、自分のことしか考えない人だと気づいた。自分が悪くても被害者面をする。相手が傷ついているかどうかという発想そのものがない。

50代の主婦が語った義理の親族も同じだった。約束を守らないのが日常で、都合の悪い話になると連絡が取れなくなる。家族の集まりでは自分の話ばかりで、他人の事情を聞こうとしない。金銭のトラブルでも、自分に非があるのに被害者を装って周囲を巻き込んだ。

被害者の位置は強い。そこに立つと、周囲が責めにくくなる。この位置取りを反射的にできる人は、非を認める必要がそもそも発生しない。

利用価値がある間だけ優しい

先の元上司も、義理の親族も、同じ性質を持っていた。利用価値があるうちは優しく接してくる。価値がなくなると手のひらを返す。60代の男性が若い頃に見た近所の人も、まったく同じだった。利用できる間だけ愛想がよく、用が済めば冷たくなる。

優しさが人柄ではなく手段として使われているとき、受け取った側は長く気づけない。おかしいと感じるのは、たいてい切り捨てられた後になる。

相手が傷つくという発想そのものがない

40代の別の男性は、職場の同僚を挙げた。声が大きく図々しく、真面目な人が損をする環境を作る。謝るのは遅いのに、自分が得をする場面では素早く動く。人には頼るのに、頼られると逃げる。飲み会のような場で人間関係を操作し、正論より勢いが勝つ状況を利用する。優しい人ほど我慢するのをいいことに、負担を押し付ける。

彼はその姿を見て、地獄に行きたがる人だと感じたという。行きたがる、という言い方に含みがある。誰かに落とされるのではなく、自分から歩いていっているように見えたのだろう。

なぜ、あの人は自分を悪いと思わないのか

認めた瞬間に自己像が崩れるので認められない

非を認めない人は、認めたくないのではなく、認められない構造の中にいることが多い。自分は正しい、有能だ、被害を受けている。この自己像に一点でも傷が入ると、全体が崩れるように感じる。だから小さなミスほど頑なに否定する。

外から見ると往生際の悪さに映るが、本人の内側では防衛が働いている。ここを理解しておくと、説得すれば分かってくれるという期待を手放しやすくなる。証拠を積み上げるほど防衛は固くなる。

勢いが正論に勝つ場面を選んで生きている

こうした人は、どこでも同じように振る舞っているわけではない。反論されない相手、我慢する性格の人、立場の弱い人を選んでいる。飲み会、会議の空気、家族の集まり。論理よりも声の大きさが通る場を的確に嗅ぎ分ける。

だから、記録が残る場所と第三者がいる場所に話を移すだけで、態度が変わることがある。メールやチャットで確認を取る、上司や親族の前で話す。相手の得意な土俵から降りるだけで、力関係が動く。

地獄は死後ではなく、関係の中で完成する

基準が少しずつ書き換えられていく

先の30代の女性は、別れたあとに気づいたことを言葉にしていた。一緒にいるうちに自分の基準が少しずつ書き換えられ、気づいたら自尊心がぼろぼろになっていた。地獄は突然来るのではなく、異常に慣れていくことで完成する。

これは、この記事で最も重い一言だと考えている。ある日ひどい仕打ちを受けて人生が壊れるのではない。少しおかしいと感じたことを、そのたびに小さく飲み込む。半年後、その飲み込みが当たり前になっている。

冷たいとわがままという二語で封じられる

20代後半の女性は、友人の元彼について語った。相手を依存させ、判断の基準を自分の側に握らせていく。境界線を引こうとすると冷たいと言われ、自己主張をするとわがままと翻訳される。優しくする時期と冷たくする時期を交互に置いて関係を固定し、自分が抜けたらこの人は壊れると思い込ませる。

友人は最終的に友達が減り、普通の恋愛が分からなくなった。それを見た彼女はこう感じたという。人が地獄に落ちるのは強く傷つけられたからではなく、関係の力学に組み込まれたときだ。

冷たいとわがまま。この二語を向けられたら、自分の側の感覚が正常に働いている合図として受け取っていい。

報いは本当にあるのか。現世で起きていること

悪人が栄えているように見えるのは、多くの人が抱く疑問だ。因果応報という言葉を信じたいのに、目の前の現実がそれを裏切る。

60代の男性が繰り返し見てきたのは、劇的な破滅ではなかった。そういう人ほど、最終的に孤立していく。約束を破り、用が済めば冷たくなり、周りを見下す。一つ一つは事件にならない。ただ人が静かに離れる。10年、20年という時間をかけて、頼れる人が一人もいない状態が完成する。

義理の親族と縁を切った50代の主婦も、悪いことをすると自分に返ってくるという昔の教えを、改めて実感したと話していた。返ってきたのは金銭的な罰ではない。誰も助けに来ないという形の報いだった。

因果応報は稲妻のようには落ちてこない。人が離れるという形で、遅れて届く。

関わってしまった側が、今日からできること

相手が変わるのを待つ時間は、こちらの人生から差し引かれていく。できるのは三つだけだ。

接触の量を減らす。職場や親族で完全に切れないなら、話す時間と話題を業務や事務連絡に限定する。二つ目に、やり取りを記録が残る形に移す。三つ目に、その人以外の人間関係に時間を配分し直す。基準を書き換えられた状態は、まともな人と過ごす時間の量でしか戻らない。

許さなくていい。許せない自分を責める必要もない。宗教が地獄を説いてきたのは、被害を受けた側が復讐に人生を使わずに済むようにするためでもあった。裁きは自分の手の外にあると考えることで、こちらは前に進める。あの人が最後にどうなるかは、こちらが見届ける必要のないことだ。

自分が同じ側にいないか点検する

この語を検索する人の中には、他人ではなく自分を心配している人もいる。過去の行いを思い出して眠れない人ほど、実は特徴から遠い。七つの特徴に共通するのは、自分を疑う機能が働いていないことだからだ。

点検するなら三つでいい。直近半年で誰かに謝ったか。自分が損をする場面で人を助けたか。相手が黙ったとき、その沈黙の理由を考えたか。この三つが動いているうちは、少なくとも同じ道は歩いていない。

仏教で地獄に落ちるとされるのはどんな行いですか

最も重いのが五逆罪で、母を殺す、父を殺す、聖者を殺す、仏の身体を傷つける、教団を分裂させる行いを指し、無間地獄に落ちるとされます。日常の行いとしては十悪があり、殺生、盗み、邪な性の行い、嘘、悪口、二枚舌、飾り立てた言葉、貪り、怒り、誤った見方が挙げられます。言葉に関する罪が四つを占めている点が特徴です。

八大地獄とは何ですか

等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、無間の八つの階層からなる仏教の地獄観です。下の層ほど罪が重く、苦しみの期間が長くなり、最下層の無間地獄は苦しみが途切れないとされます。罪が積み重なるほど深い層へ落ちるという構造になっています。

地獄に行くと言われる人には、どんな共通点がありますか

自分が悪いと分かっていても謝らない、非があるのに被害者の側に回る、利用価値がある間だけ優しくする、約束を破っても平然としている、相手が傷つくという発想がない、他責思考で改善しない、自己評価だけが高い、という七つが繰り返し挙がります。年齢や立場に関係なく、職場でも家庭でも同じ形で現れます。共通するのは、自分の行いを疑う機能が働いていない点です。

悪いことをした人が栄えているのはなぜですか

報いは劇的な破滅としてではなく、人が静かに離れていく形で遅れて現れます。約束を破る、用が済めば冷たくなるといった行為は一つ一つが事件にならないため、周囲は問い詰めずに距離を取ります。10年20年という時間をかけて、頼れる人が誰もいない状態になっていくケースが多く見られます。

非を認めない人は、どうすれば謝るようになりますか

自分は正しいという自己像に傷が入ると全体が崩れる感覚があるため、証拠を積み上げるほど防衛が固くなります。説得で改心させるより、記録が残るやり取りに切り替え、第三者がいる場で話す方が態度は変わります。相手が得意とする、勢いで押し切れる場面から降りることが有効です。

こういう人と関わってしまった場合、どうすればいいですか

接触の量を減らし、話題を業務や事務連絡に限定してください。職場や親族で完全に縁を切れない場合は、口頭のやり取りをメールやチャットに移し、記録が残る形にします。あわせて、その人以外との時間を増やすことが、書き換えられた判断基準を戻す方法になります。

相手を許せない気持ちは、どう扱えばいいですか

許せない自分を責める必要はありません。裁きを自分の手の外にあるものと考えることで、復讐に時間を使わずに済むという効果が、地獄という考え方にはあります。相手の結末を見届けることは、自分の回復には必要ありません。

自分が地獄に行くのではないかと不安です

自分の行いを思い返して不安になる人ほど、地獄に行くと言われる人の特徴からは遠い位置にいます。特徴に共通するのは、自分を疑う機能が働いていない点だからです。直近半年で誰かに謝ったか、損をする場面で人を助けたか、相手の沈黙の理由を考えたか、この三つが動いていれば点検としては足ります。

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この記事を書いた人

シニア向け雑誌の人生相談コーナーの担当として、これまで1000通を超える読者の手紙を読んできました。悩みの多くは、分かってくれる相手が欲しいのだと知りました。定年後の空白、体力の変化、新しい人付き合い。人生後半は終わりではなく仕切り直しの時期です。

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